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追悼 ロニー・ジェイムズ・ディオ

昼休み、隠れmixiで訃報に接する。胃癌で闘病中だった。

リッチー・ブラックモア(ex ディープ・パープル)は
無名のウィッシュボーン・アッシュの演奏を聴いて惚れ込み、
関係者に口コミして回り、彼らが世に出るきっかけを作ったそうだ。
リッチーは変人、と言われているが本当はいい人なんだ・・・
彼がパープルに見切りを付け、ソロワークのパートナーに選んだのが、
前座を務めていたエルフというバンド、そのヴォーカルがロニーだった。

こう書くと若手のようだが、実は1942年生まれ、
ポールやミックより年上で、ロック界現役最古参、と言ってよい。
子供時代からショービジネスの世界にいて、
"アイデア一発"いのちの素人芸、みたいな英ロック界では
異色の(本人は米国人だが・・・)叩き上げの本物の"芸人"だった。
その広い音域、揺ぎ無い堂々の歌唱、独自の世界観(宇宙観)の詞・・・
なんだか演歌の人のようだが、ホントその通りだったのである。

リッチーとロニー、後にコージー・パウエルのドラムが加わったレインボーは、
中学で定番ロック入門編をひと通り修了した自分が
リアルタイムで夢中になった最初のバンドだった。
エアチェックしたテープを毎日繰り返し飽きもせず聴いたものだ。
(他にする事なかったのか!?・・・勉強とかスポーツとか・・・無かったです)

日本での人気は(当時としては)相当なもので、
札幌でのライブでステージに殺到した群衆の下敷きになった
女子大生が亡くなる、という悲劇も起こった。
今ではライブで常套となった、
「ステージに駆け寄る等の行為はお止め下さい・・・途中中止もあります!!」
のアナウンスはこの事故がきっかけで始まったという。

イマイチだった米国でのセールス重視、のための路線転換で
ロニー脱退の報を聞いた時の落胆と、
後任のグラハム・ボネットへの失望は大きく、
ハードロック/へヴィーメタルへの興味自体が
潮が引くように消えていった。
当時流行の"ニュー・ウェイブ"(笑)に逃避したものの、
さらなる幻滅はそう遠くなかった。

ガキのハシカのようなものだったのか。

その後のグラハム(アルカトラズとか)は好きだし、
三代目のジョー・リン・ターナーも悪くなかった。
しかし情熱が元に戻ることはなかった。
当のロニーもブラック・サバスから自らのバンド、ディオと、
キャリアを積み重ねていったのだが
敢えて(コワくて)近寄ろうとはしなかった。

唯一、あれは1986年頃
バンド・エイドやUSA・フォー・アフリカ等の
チャリティ・コラボが盛んだった時代、
その流れでヘヴィメタ界でも「ヒア&エイド」というプロジェクトがあり、
その提唱者で、PVのトリを堂々勤めたのがロニーだった。
やっぱりいい人だったんだ~

夢中で入れ込んでいたアーティストを、
ちょっとした失敗作や期待外れで
聴かなくなってしまうことはあると思うのだが、
もうちょっと広い心でも良かったかな、と思うことがある。
その後のポップで明るい80年代HR/HMを楽しむ機会を
閉ざしてしまったのはちょっと残念だ。

慎んで冥福をお祈りするとともに
彼の遺産にもう一度挑戦したいと思う。
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